【懲役 vs わが子の自殺】:「面会中に平手打ち 生徒の父、いじめ相手に」栃木親父の愛を考える

今日、栃木県で、いじめた男子生徒に、いじめられた生徒の父親が会っておきた事件があった。


父親がいじめた男子生徒を平手打ちしたんだ。


毎日JP」より

さくら市内の公立中で14日、いじめを訴える男子生徒の父親と、いじめたとされる男子生徒を同校教諭が面会させ、腹を立てた父親が生徒の顔や頭を平手で数回たたいていたことが15日、分かった。学校は「当事者同士を会わせたことは不適切だった」とコメントしている。


とある。自分の子どもがいじめられていたら、あなたならどうしますか?この父親を支持しますか?


暴力がいけないのはたしか


暴力いけない!これ真理。

しかし、そもそも暴力を先に振るっていたのは、いじめていた男子生徒だ。
シャーペンでつついたり、侮蔑する言葉を投げていたらしい。言葉も立派な暴力だ。


教育長の配慮されたコメント

別のニュースの角度から見ると、

「息子いじめられ」校内で話し合い 父親、相手生徒に暴行 さくらの中学校


にはこうある。

同校の対応について、同市教委の角田静雄教育長は「難しい局面もあるが、親が会わせろと言っても、いじめた生徒に直接会わせるべきではなかった」と話している。


同市教委の教育長は「難しい局面」と、踏まえた上で、「直接会わせるべきではなかった」とある。

直接会わせたら、暴力沙汰。

逆から考えると、直接会わせた場合の、親が平手打ちする感情は、当然ありうると示唆しているに等しい。



大人も子供もおかしい世の中

今の世の中、大人がおかしい。大人がおかしいから、鏡のように子供がおかしくなる。


ビジョンを示せる大人が少なくなった。政治家もビジネスパーソン
ビジョンがある人は少なくなった。

金儲けのイリュージョンを唱える人は多いけど、子供の未来考えたらビジョンなんかじゃない場合が多い。


大人は目の前の一刻のお金を、いかに手に入れるかで疲弊しきっている。


自分だけが生きれればいいという社会になってきているのは確か。



希望の光

そんな世の中でも光はある。


子供の喧嘩と学校も親も放っておいて、自殺してしまう子供は後を絶たない。


ニュースで珍しくなくなるくらい多くなった。


だったら親心として、相手に手を出してでも、わが子へのいじめを阻止したい気持ちが
あるはずだ。


これはもう、理性に優先される本能であるはずだ。


だって、自分の子どもが殺されちゃうかも知れないんだもん。


動物の世界だって、子供を守るためにときに囮になったり、危険を承知で
立ち向かうことがよくある。


人間の場合、サバンナでなく社会で、いかに本能だけでなく理性を持って行動するか
問われることになる。



拳骨とかでなくて、平手にしたのは理性が本能をブレーキしたせいだと思う。


子を持つ親は、わが子をいじめる子にすべからく会うべし!


教育長とは見解異なるが、会う権利を有するべきだ。
会えなかったら学校外で会うべきだ。


だって学校や教師は、そもそもいじめをやめさせる専門機関でも専門家でもない。
むしろ無縁だったような秀才が教師になる確率のほうが高い。


教育実習とかまでひと通りやったけど、いじめをやめさせる教科なんて習わなかったよ。
教育心理や道徳っぽいのはあったけど、あれでいじめをやめさせられたら奇跡。


平手打ちは、躾について家庭からも、学校からも、社会からも放棄された、
いじめた男子生徒への最後の愛の形かも知れない。


グーでなく包みこむ余地のあるパーなのだから。

大したけがをすることなく、いろんなことに気づくメリットのほうが多い。


愛ゆえに

暴力だめだけど、けがしなかったみたいだし、愛ゆえにだと思うよ。


結局どうなったかというと、

父親はその後、平手打ちについて男子生徒と保護者に謝罪。男子生徒側もいじめたことについて謝り和解したという。


無視を決め込む親を想定したけど、同じ土俵に降りてきたことに、
男子生徒はびっくりしたかもしれない。



でも自分の子供を守るためなら、親はなんだってする覚悟があるんだ。子どもが何歳でもね。


子供の喧嘩の土俵だろうが、わが子のためなら乱入だって何だってするのが本当の親父。



究極の選択「懲役」VS「わが子の自殺」

極論すぎるけど、今回のようなケースで「懲役」と「わが子の自殺」だったら、
どっちをとる?


懲役を選択する親父の方が多いと思う。




うまく生きにくい世の中だけど、親父の根っこは絶対そうなんだ。






本日の覚悟:自分の子どもを守るためなら、親父はなんだってする覚悟がある。